2017年04月12日

事件は会議室でおきてるんじゃあない

道南の乙部町で行方不明であった男性が遺体で発見されたとのニュース。
8日から捜索していたようですが、車の駐車場所から400M程離れた場所で発見されていたとの事。

今朝の朝のニュースでも、近隣の江別の牧草地で白骨が発見されたとのニュース。

両者も、「認知症」であった、との事実がないため、何とも言えないが、高齢者のいわゆる「徘徊」(ちなみに私は学生時代深夜徘徊して補導された経歴あり)と言われる周辺症状で、死に直結してしまうものがこれである。冬ならなおさらの事。

現在の各市町村で実施している「SOSネットワーク」は網を張るだけの機能と言ってよい。

その網をかいくぐられちゃうと、冬なら「死」を覚悟しなくてはなりません。

先日もお話ししましたが、名古屋地裁判決で有名となった認知症男性の列車跳ねられ事故など、誰の責任にするのかといった議論も現実的に必要なことかもしれませんが、根本である、「いなくなっても見つかる」事が一番重要であり、その見つかるための努力を地域社会で協力して行うという事の努力の議論が建設的のような気がしてならない。

「ネット」をかけてその「ネット」にかかって発見された方はどれくらいいるのだろうか。
かつて調査した時には、発見のほとんどが民家に不審者がいると思ってみたら、会話に違和感のある人がいてやむなく警察に通報といった流れのものがほとんどであり、言いかえると、情報を基にして見つけたのではなく、たまたま情報を知らない住民が不審者だと思って連絡した、そして通報をうけた警察が照会してみると「ネット」に登録した方だった、というたまたま論である。

そんなたまたま、に期待していて死人が出にくい夏場ならよいが、1年の1/3が雪のある北海道でそんな悠長なことしていて助かるのかと・・・

やはり重要なのは、「捜索」機能をどのようにして持つかという事が重要なのだと思う。

各地元の福祉医療関係者のマンパワーを集約して捜索対象者の情報を個人個人が持つ端末に送信され、一斉にローラー作戦が行えたり、通勤、帰宅の職員が意識して「画像」をみて探す機能が求められるのではないだろうか。

線路ではねられるから施設玄関を施錠、自宅から出て行っちゃうから施錠、裁判で訴えられ責任追及されるから施錠。これでは住み慣れた街で安心して暮らせる社会づくりと逆行してはいないだろうか。

GHや施設から離設した場合、単独事業所のみでの捜索には間違いなく限界がある。
操作人員は5名も確保出来たら良い方だと。

とかく個人情報うんぬんが議論されるが、死ぬのと個人情報の漏洩ならどっちを選ぶだろうか。
命を救うのに、救わず法律論を述べている評論家は外野でやっていてほしい。
現場は、今まさに動いている。
posted by 管理者 at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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