2018年01月19日

横綱と介護職

 西区作業療法士の女性が殺害された事件の続報では、殺害後に偽装工作の為メールの送信を行っていた形跡があるとの事。もしかしたら浴槽内で発見されたのも、死亡推定時刻を遅らせる為であったり、第一発見者となった事も、室内における指紋採取を想定したものだったのかも・・・
 
 そう考えるとやはり理学療法や作業療法といった専門的知識を有する者の犯行なのかも。
 
 相撲や格闘技の専門知識がない識者が、テレビにおいて「横綱の品格」「相撲ルール」について論じていたりしていました。賛否両論を繰り広げていますが、弁護士の多くが論じる中に、「横綱だってルールで禁止されていないなら張り手やカチ上げを使ってよい」というものがあります。「ルールブックに書いていないならルール化した方が良い」というものも。

 で、あるならば、横綱や大関小結などの地位など無くし、体重別で行った方が良いと思う。

 そもそも、横綱となるためには「品格」が求められており、しかも横綱となるためには「常勝」であるだけではなく別の要素が設けられており、2場所全勝であっても横綱審議委員会は単純に横綱昇進OKとはならない現実があります。その時その時の審議委員であったり理事会、世論などが影響を及ぼしたりも。

 そして「横綱とは」という考え方を理事会や審議委員会、そして所属しているその親方が徹底的に力士に指導する訳ですから、単純にどんな技を使っても勝てばよい、というように教えられていないはずなのだと。

 品格が無ければ横綱にはなれないという前提があるわけですから、当然のように曖昧で不文律といったものではなく、「横綱としての禁じ手」を学んでいるというのが前提。その禁じ手を使わなくとも勝てるのが横綱であり、勝てないのならば引退しかないのが横綱。

 よって白鵬などが横綱としての相撲がどうしても取れないのなら休場か引退の選択肢をとる事を了承して横綱となっているはずであり、親方が指導をしているはずなのです。

 最近マスコミで白鵬を悪者のように取り上げている節がありますが、私としてはその親方の指導力が問われている訳であり、横綱となるにはふさわしいと、審議した審議委員会、そしてその当時の理事会に問題があるだけだと。モンゴル人であるから、横綱の品格がわかっていない、というのならば、横綱になる前にそういえばよい事。もしも横綱となれば徐々に横綱相撲を取れるように成長を期待していたのかもしれませんが、成長させられなかった周囲の問題を問われる事が大切。

 介護職員も初めから介護技術が素晴らしいわけではありません。
 様々な疾病や事故等、医学的な知識も必要になってきます。

 しかしながら、介護職となった時点で様々な知識や経験を有するなど現実的にはありえません。
 多くの場合、利用者が肺炎などになり「肺炎」について学び、利用者が転倒などし骨折などをする事で初めて転倒による「骨折」の状況を学ぶという事が「経験」になります。
 机上で大腿骨頸部骨折を学んでいても現場でしっかりと意識して仕事する事など多くは無いのが現実。
 
 大腿骨頸部骨折といっても、病院に搬送され、画像でその骨折の部位により 大腿骨頸部内側骨折であったり、大腿骨頸部外側骨折だったりといったものを医師により説明を受け、自分のものとして「経験」を積んでいくという事が現実だったりします。

 すべての疾病について理解して介護職を行ってはいない。あっても広く浅くです。
 だからこそ後から気付くことが重要になりますし、それを活かす事、そしてそれら得たものを後輩に受け継いでいく、教えていく環境が重要になります。

 つまり利用者が病気やケガをすることによって介護職として知識や経験を積んでいくというのが大きいのです。利用者は自ら意図していないが、我々にとっては利用者の反応全てが生きた教科書となっているのです。だからこそ、「事故が怖いから介護職を辞めたい」「利用者の苦しんでいる姿をみるのがつらいから介護職を辞めたい」などといった理由は、ある意味、我が身を削って教えてくれたモノを無駄にしてしまうという事を理解してほしいと思います。

 介護職として一人前にならなくとも介護職として給与を得ることができますが、必要な知識をすべて吸収した状況で介護職として業務をしているのではなく、働きながら、経験しながら学び、反省し、次に活かすということで我々の仕事は成り立っている側面がほとんどなのです。

そこが人の命を預かっていながらも介護業務をこなし、未完成な状況から完成の状況に近づけていく事が常に求められていると言えます。だからこそ利用者の疾病やケガ等に対して常に謙虚に受け止め、そこから目を背け関わる事を逃げていては、介護職でありながら介護職に近づいていない事になります。

「自分がけがをさせてしまってはどうしよう・・・」
そう思うのなら、だったら常に勉強すればよいし、ケガをさせない工夫や努力を考えるべきであり、
もしも怪我をしてしまったら、同様ケース、類似ケースを今後発生させないように活かす事が我々の使命と言えるのではないかと考えます。

 相撲の横綱は、横綱となったら横綱であります。
 横綱はだからこそ自らの意志だけではなくなるための資格を有していなくてはなりません。
 そこが、横綱より下の力士との違い。学びながら横綱になっていくのではない要素が多いのです。

 介護職は学びながら介護職になっていくのです。その為には利用者をはじめとした様々方々の努力や犠牲、恩恵によって学んでいたんだという事を後々、気づかされます。

 学ぶ姿勢を止める時には、これまで学んできた経緯をしっかりと振り返り、その重みをわかってほしいものです。
 
 私がこれまでの介護の仕事の中で、自身の知識や経験不足の中で死に至らせてしまった利用者は2名おります。
 骨折などの重篤な状況に至らせてしまった利用者は1名おります。

 決して世間で言うところの暴行などや虐待ではありませんし、意図してそのような状況に至らしてしまった事は断じてありませんが、もう少し自分自身に知識や経験があれば防げた事だったといつも振り返ります。

 これらの事の反省やこれらの教訓を次に関わった方々に対して活かしていく事が自分自身の責任だと勝手に思っています。
posted by 管理者 at 22:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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